はしこいはしばし

越畑はしこのゆるゆる雑記メモ

【レポ】たかが15年!初の無観客YouTube配信ライブで見せつけた軌跡とエモ【GRANRODEO】

こんにちは、首と右腕が痛い越畑はしこです。

今回はライブレポート。

 

 

2020年7月31日(金)、彼等は全世界に向けて15年分のパフォーマンスを見せつけた。

 

[Online Live] GRANRODEO 15th ANNIVERSARY Startup Live 〜たかが15年〜

https://youtu.be/aP_HSmB2b3A

 

19:30から火蓋を切って落とされたライブ。

 

 

 

圧巻だった。

 

まさにエモかった。

 

 

以下はその余韻冷めやらない筆者が、熱い内に打つ鉄の如く、エモい内に書くレポである。

 

 

 

が、その前にまず先にお礼を言いたい。

 

GRANRODEOのお二人。

 

サポートメンバーの瀧田さん、SHiNくん。

 

見えないところで尽力しているスタッフ陣。

 

一緒に盛り上がってくれた全世界のRBRGたち。

 

 

心から、ありがとう。

 

 

【今回のライブの背景】

GRANRODEOは2005年11月23日に結成された二人組ロックユニットだ。

2019年の11月23日を皮切りに、活動15周年イヤーへ突入した。

まさに2020年というこの年は、彼等にとって15周年の記念すべき年なのだ。

 

個々で言えば、まずVo.のKISHOWは今年が丁度45歳の節目だし、声優としても活躍する彼のそのキャリアは20年を迎える。

 

Gt.のe-ZUKAもそうだ。ギタリストとして活躍して、なんと30周年の節目にあたる。

 

ユニット単位だけでなく、二人にとってこの2020年という年はかなり重要なものを含んでいる。

 

 

そんなGRANRODEOのライブ、「15th ANNIVERSARY Startup Live 〜たかが15年〜」は本来であれば3月12日(木)に行われる予定だった。

 

前日の3月11日(水)は同会場で「飯塚昌明 ANNIVERSARY LIVE “e-XPO 2020”」も開催予定だった。

これはe-ZUKAのギタリストとしての周年を祝う位置づけのライブ。

相方のKISHOWは勿論、ゆかりあるゲストを多数招いてのお祝いライブだった。

 

 

だった。

 

 

無くなってしまった。

 

 

新型コロナウイルス感染拡大による影響。

時世は混乱の真っ只中にあった。

 

 

 

2月ごろからあらゆるライブやイベントの公演が自粛を余儀なくされた。

良くて延期。だがスケジュールやお金の都合がうまくつくとは限らない。

 

と、いうか、つかないところの方が圧倒的に多かったように思う。

 

ロデオの公式Twitterから2月27日にアナウンスが出された。

「当該公演の開催中止について」。

 

 

仕方がない。そんなの分かってる。

でも当時はみんながやり場のない悲しさを抱えていた。

やる方だって見る方だって、こんなの誰も望んでいなかった。

でも、仕方がなかった。

 

 

その後、会場で販売される予定だったグッズの通販が案内された。

趣向を凝らしたグッズたち。

ファンたちは各々吟味しながら購入する。

 

宙に浮いたチケット代。

せめてもの使い所はここだ。

少しでも応援になるようにとそっとカートのボタンを押した。

 

 

GRANRODEOの二人からも、Twitterとブログそれぞれで発信があった。

 

谷山紀章(@kishownstarmaps):Twitter

 

飯塚昌明ブログ 毎日カレーでもいいな

 

 

無念なのがすごく伝わってきた。

二人だって楽しみにしていたはずなのに。

悔しかった。

 

どうしようもないウイルスの脅威の前には、為す術がなかった。

 

 

そこから4ヶ月が経った、7月14日。

二人がやっている東京FMのラジオ内で突如発表があった。

 

 

–––––GRのYouTube公式チャンネルで初のオンラインライブを開催します。

 

 

この頃、コロナウイルスの状況は依然予断を許さないものの、緊急事態宣言は解除され、一時期より感染者数に落ち着きが見られてきたところだった。

 

そして、エンタメ業界的には「従来のライブやイベントに替わる新しい試み」としてzoomやYouTubeを活用した新しいエンタメの形を模索する流れがやってきていた。

 

その一つがオンラインライブ。

 

大人数が密集するライブは難しい。

そこでライブの模様をインターネット上でリアルタイムで配信してみんなで楽しもうというのだ。

 

 

しかも驚くべきことに無料。

スーパーチャット(投げ銭)すら無い。

 

無料で、全世界誰でも見ることが出来るライブ。

 

 

 

そしてその中身は、開催中止となっていた「たかが15年」。

 

 

 

 

嬉しかった。

ラジオを聴きながら、声を上げて喜んだ。

 

 

そうして、待ち望んだ7月31日。

19:30。

 

画面が切り替わると闇に沈むステージと、ほのかに青く光る照明。

 

 

4ヶ月越しの15周年の幕開けライブが、始まった。

 

 

 

【セットリストの特異性】

今回のライブの1番の特徴。それがセトリ。

 

そのため、ただ初めてオンラインライブをやるというだけでなく「たかが15年を開催する」ということに大きな意味があるのだ。

 

今回のセットリストを決めたのは「ファン」。

勘のいい人はこれだけで分かるかもしれない。

 

 

15年の歴史の中、GRANRODEOが出してきた数々の楽曲たち。

それを年別に分け、各年のファン投票一位の楽曲で構成されたもの。

 

それが今回のたかが15年のセトリなのだ。

 

ファンが選ぶ15年分の15曲。

まさに15周年のスタートを切るライブに相応しい試みだ。

 

 

ここでそのセットリストを紹介しよう。

 

 

01.情熱は覚えている(2020)

02.フォルテ(2019)

03.Deadly Drive(2018)

04.ナミダバナ(2017)

05.TRASH CANDY(2016)

06.日常ホライズン(2015)

07.silence(2014)

08.Y・W・F(2013)

09.NO PLACE LIKE A STAGE(2012)

10.Beat it, Love!(2011)

11.ROSE-HIP BULLET(2010)

12.tRANCE(2009)

13.甘い痛みは幻想の果てに(2008)

14.慟哭の雨(2007)

15.紫炎(2006)

16.Go For It!(2005)

※アンコールはなし

 

 

まずパッと見て分かることから触れる。

16曲ある。

 

さっき15曲だと言ったな。あれは嘘だ。

 

 

……いや、当初の予定通り3月に開催されていれば15曲だっただろう。

 

一番最初に歌われている「情熱は覚えている」。

これは7月11日に配信されたばかりの最新のシングル曲だ。

 

 

そう、つまりロデオは、4ヶ月の間に生まれた2020年の歴史も、ちゃんとセトリに取り入れてくれていたのだ。

 

 

この曲が観客の前で歌われたのは初めて……ではなかったりする。

実は7月5日に行われたAnime EXPO × Lisani Liveでもすでに披露はしてくれている。

 

ただそちらは事前収録のライブだったのでリアルタイムでのお披露目は初。

 

 

筆者的にはすでにこの時点でエモさが極まりなかった。

 

 

もう一点、セトリを見てすぐ気付くこと、それは年を遡っているセトリの順番。

 

 

最新の「情熱は〜」に始まり、その次が'19年の「フォルテ」、'18年の「Deadly Drive」。

 

ここまできて、もしかして、と思う。

 

筆者の予感は当たる。

次は'17年の「ナミダバナ」。

 

 

まるでここまで歩いてきた道のりを振り返るような、そんなセトリだ。

 

一つ一つ思い出のページをめくるように、遡っていく年代と楽曲たち。

 

15年の歴史を感じていってくださいと言わんばかりだ。

 

 

【ファンが求めるロデオの音楽とは】

さて、ここで少し話題を変える。

 

各年の投票一位で彩られた今回のセトリ。

ロデオ大好きなRBRGたちは、この楽曲たちを見てどう思っただろうか。

 

 

あ、いや、その。

 

「あれ聴きたかったな〜」とか、

「あの曲次いつ聴けますか……」とか、

「最後に歌ったのいつだっけ……?」とか、

「最推し曲焚き上げられましたがなにか」とか、

 

闇を煮詰めるのはやめよう。

きっといつかやるから。ね。ね。

 

ね……。

 

 

幾らロデオの二人や関係者各位がエゴサをしているとは言え、こんな末端なブログには辿り着かないと思う。

 

が、もし何かの冗談で見ていたとしたら、ファンは意外とマイナー曲も飽くなきほど欲してるのでご一考ください。

 

 

まあ正直そういう感想が出てきちゃうのも無理はない。

 

人気な曲・マイナーな曲はあるし、アルバムの発売された年は対抗する楽曲が増えるから、票がバラけて推し曲が採用されないとかもある。

 

逆に、デビューした2005年はシングル一枚しか出してないから、実質二分の一だったりするのである。

 

どうしても多数決みたいな感じなので、そういう投票の特性上からくるアレソレはちょっとおいといて。

 

 

筆者が感じたのは、ザ・GRANRODEOな選曲だということ。

 

GRANRODEOの音楽を想像したときに、イメージとして浮かぶジャンル、それはRockだと思う。

もっと言えば、HR/HMな激しいRockじゃなかろうか。

 

 

確かにアニソンとの縁も深いロデオは、代表的な所だと黒子のバスケなんかの主題歌を担当している。

 

例を挙げればCan do やThe Other selfPunky Funky Love……といった、爽やかで明るいサウンドの曲も多い。

 

Wikipediaにも「枠にこだわらない様々なタイプの楽曲を発表している」と書かれているほど、ロデオの作る音楽ジャンルは多岐に渡っている。

 

 

だけど。

やっぱりみんな「激しいのがお好き」ということなのだ。

 

蓋を開けて見ると、まるで最初から最後までクライマックスな、頭振ってナンボな楽曲たちばかり。

 

というかそれしかない。

 

頭を振るか腕を振るか扇子を振るか位しか、選択肢の余地が無い。

日ホラが比較的軽めかなとは思うが。

 

 

ぶっちゃけ言うとこのセトリ、4番選手ばっか集めましたみたいな状態なのだ。

しかもその4番は皆、ライブでぶちあがるのに特化したアタッカー型ばかり。

 

ファンの意思を反映させた結果、こんなモンスター級に強い……強すぎるセトリが爆誕してしまったのである。

 

 

実はこの胸騒ぎはライブが始まる前からあった。

 

友人と「もしバラード一曲も無かったらセトリどうするんだろうね」と半ば冗談で笑っていたのだ。

 

が、ナミダバナを聴いた辺りから「まさか」と思い始め、結果的に予感は当たった。

 

 

開票結果を聞いたときロデオの二人はどう思ったんだろう。

ラジオでもCan doやPFLが入ってなかったことを意外そうにしていたけれど。

 

気になる所だ。

 

 

 

話を戻すけど、普通のライブのセトリだと、バランスとか色とか、構成を考えて組むものだと思う。

 

最後にアルバムのラストに収録されてるバラード持ってきたりとか。

 

でも今回は全てが粒立って尖った激しい楽曲。

正直私がこの16曲でライブを構成しろと言われても頭を悩ませてしまう。

 

だから、という訳ではないと思うが、年を順番に遡っていくというセトリは、発想の逆転のような気もした。

 

楽曲のバランスを考えてあれこれ構成するのではなく、いっそ一通り年代順にやり切ってしまう。

 

そして、その順番に意味を見出すのだ。

一つずつ巻き戻る、という意味を。

 

 

 

 

 

【原点回帰するセトリ】

今回のセトリ、個人的にグッときた所は山ほどある。

 

例えば「甘痛」からの「慟哭」の繋ぎとか、そこからの「紫炎」だとか。

 

筆者は「紫炎」がめちゃくちゃ好きなので、KISHOWのロングトーンとe-ZUKAの最後のコーラスで泣きながらエモり散らかしていた。

 

一人「慟哭の雨」状態と言っても差し支えないレベルだった。

 

 

ただそういう個人レベルの感想というより、もっと深い部分でこの記事で取り上げたい"エモ"は一番最後。

 

 

「Go For It!」だ。

 

 

今までずっとセトリの話を続けてきたが、そもそもこの順番に至った本当の意図、理由って、ここなんじゃないかと思うのだ。

 

 

「Go For It!」–––––合法は、ロデオが初めて出したシングル曲。

ちなみにカップリングは「mistake」。

 

そう、一番最初のシングル。

ここからGRANRODEOが始まった。

 

 

 

2005年の投票、まさに二曲の内どちらを選ぶという投票で、選ばれたのは合法だった。

 

実際の数字がどうだったのか分からないが、筆者の体感的にはライブで全然歌われていない「mistake」も割と票は入っていたんじゃないかと思う。

 

とはいえ、結果としては合法が上回った。

 

 

一つずつ振り返っていくセトリ。

そして、一番最後に歌われるのは、GRANRODEOの最初の曲。

 

 

15年を振り返り、そして原点に帰る。

 

まさにそれを意図したセトリに感じられた。

 

 

エモすぎて、どうしていいか分からなくなりそうだ。

 

 

 

でも、それだけじゃない。

 

 

 

【届いたコーレス】

合法はお馴染みのコーレスがある。

IGPX!!」と叫ぶところがあるのだ。

 

これはタイアップ元のアニメのタイトルがそのまま楽曲内のコーレスに取り入れられている。

だから「IGPX」は合法が主題歌だったアニメの名前である。

 

 

ライブだと、一番のサビに入る前にコーレスタイムになる。

 

そこでギターの音に合わせて会場全体で「IGPX!!」と叫ぶのだ。

 

 

「1階席」「2階席」「ロデオボーイ」「ロデオガール」「初めて来た人」「全通してる人」……などなど。

 

サポメンも含めた四人が指名して、その人たちだけで掛け合ったりもする。

 

 

––––––ただ、これは普通のライブの話だ。

 

 

今回のライブは無観客。

私達は画面の向こうのステージが見えている。

 

 

でも、やっている彼等の前に観客はいない。

 

 

 

家で一人で盛り上がっている声も、

 

友達や家族と一緒に上げている歓声も、

 

サイリウムの光や振っている頭や腕や扇子も、

 

彼らには見えていない。

 

 

ライブが始まり序盤の3曲が終わった所で、MCが挟まれた。

 

KISHOWはおずおずと、口を開く。

いつもと様子が違うのは、目の前に客がいないからだ。

 

何かを投げかけても、誰もいない空間で返事が返ってくることはない。

 

そんな中で話すのは、やはり少し変な感覚だったんじゃないだろうか。

 

 

 

ロデオは音楽も素晴らしいが、ライブのMCの面白さにも定評がある。

 

e-ZUKAのボケは呼吸をする様に紡がれるし、それに律儀に返す時もあれば乗っかってボケる時もあるKISHOW。

そういうMCを聞くのもライブならではの楽しみだ。

 

 

今回のライブも、変わらないMCっぷりを発揮していた。

面白くて笑って聞いていた。

 

ただ、その笑いは届かない。

 

 

「これ、反応が返ってこないからどう思われてんだろうね」。

 

 

そう思うのは当然だ。

演ってる方からしたら反応がないって怖いと思う。

 

「まあ俺ら普通にお客さんいてもシーンってする時あるからそれに比べたらいいけどね!」

 

二人はそうやって笑いを誘っていた。

そういうところが、彼らのいいところだと思う。

 

 

だけど、やっぱり悔しい。

 

 

悔しすぎた。

 

 

私達の熱量が、本人たちに直接届けられないことが。

 

 

すごい楽しくて嬉しくて最高なんだよと、声に出して叫んで伝えたかった。

 

 

叶わない。

それが悔しくて、泣けた。

 

 

 

最後に合法が来ると分かった時、私は

 

 

––––––コーレス、やらないだろうな。

 

 

正直言うと、そう思った。

 

 

やらないっていうか、出来ないと思ってた。

 

 

 

だって私達は目の前にいないじゃないか。

 

どんなに声張り上げたって届かない。

 

せいぜい両隣と、上下の近隣住人にしか届かないし、そんなことをしたら苦情がくる。

 

 

 

勝手にそう思っていた。

 

 

 

けど。

 

 

 

合法が始まり、KISHOWが歌う。

イントロ、Aメロ、Bメロ……

 

 

サビは、来なかった。

 

 

e-ZUKAのギターの音が下がる。

 

KISHOWがマイク越しにMCをし始めた。

 

 

 

「え、やるの?」

 

 

一人家でライブを観てた私は思わず声が出てた。

 

 

そのあと、涙も。

 

 

 

––––––IGPX、魔法の四文字叫んでください。

 

 

彼等は、普通のライブと遜色なくMCをし、私たちにIGPXと叫ばせた。

 

 

あの瞬間、無観客だとか配信だとか、そういうのが取っ払われて、ステージとオーディエンスが一体となった。

 

 

ずっと声が届かないのが悔しいと思っていた。

 

 

だけど、あの時たしかに、GRANRODEOに私達の声は届いていた。

 

 

もう泣きすぎてぐしゃぐしゃになっていたけど、力の限り叫んだ。

近隣住民には泣きながら心の中で「ごめんなさい」をした。

 

 

 

そしてKISHOWが言う。

「最後に5回連続で」、よし。

 

 

 

IGPX!

 

IGPX!!

 

IGPX!!!

 

IGPX!!!!

 

 

–––––––ラスト!

 

 

IGPX!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

 

 

 

力の限り、叫んだ。

 

 

 

【まとめ】

……本当に最高のライブだった。

 

 

 

「ちゃんと、みんなの叫ぶ声が聞こえたような気がします」。

 

 

合法の演奏が終わり、16曲を終えた最後のMCでKISHOWはそう言っていた。

 

そう、だって私達は本当に一丸となって叫んでいたから。

 

 

 

 

このライブはすごく意味のあるものだった。

 

 

彼等を応援するファンの一人として、とてもよくそれを感じた。

 

 

15周年を迎えた彼等の最初のライブ。

 

初めての試みと、今まで培ってきたパフォーマンスやファンとの繋がりが、そこに共存していた。

 

 

 

中止発表の後、そっと押したカートのボタン。

家に届いたグッズ達を見た時、なんとも言えない切ない気持ちになったのを今でもよく覚えている。

 

だけどあの時買ったTシャツやリストバンドやタオルを身につけて、ライブに参戦できた。

 

グッズたちも、ちゃんと出番を果たせて良かったと思う。

 

 

 

2020年は動乱の年だ。

誰がこんな年になると、予測できただろう。

 

 

世の中立ち行かないことばかりだ。

大きすぎる脅威の前では、あまりに人は無力だ。

 

でも。

 

 

そんな世知辛い日々に一生懸命向き合った先には、きっと意味のある明日が待っているのかもしれない。

 

 

だから、今やれることをやって、事態の一刻も早い収束を祈って、生きていこう。

 

 

思い通りじゃなくても、ひたすら。

 

 

 

 

 

4ヶ月越しに15周年の皮切りをした彼らの活躍は留まるところを知らない。

 

まだまだ彼らの15周年はここからだ。

ベストアルバムの発売や新規MV投票開催など沢山の情報解禁もあったし、楽しみは尽きない。

 

詳しくは⇒

GRANRODEO "RODEO BEAT SHAKE" HP

 

 

また、今回のオンラインライブは8月12日(水)までアーカイブで見ることができる。

まだ観られてない人も、また見返したい人も期間内に視聴出来るので是非。

 

 

今回のライブで大きな爪痕を残してくれた彼ら。

 

改めてありがとうという感謝の気持ちでいっぱいだ。

 

これからもその活躍を、これからも1ロデオガールとして応援していきたい。

 

【考察】GRANRODEOのセツナの愛のMVは何を意味している?

2020/07/29 追記

15周年を迎えた折、7/31にYouTubeで配信される「GRANRODEO 15th Anniversary Startup Live〜たかが15年〜」を目前に控え、公式が歴代楽曲のMVをYouTubeに公開し始めた!

これは嬉しい。

 

GRANRODEO / セツナの愛

 

SPOT版ではなくFULLでお披露目!!

これは太っ腹。

 

GRANRODEOの30th Singleである「セツナの愛」。

この曲は「文豪ストレイドッグス」というアニメの第3期OP主題歌だ。

 

ちなみに文ストにはGRANRODEOのボーカルのKISHOWも声優として(谷山紀章名義)中原中也役で出演している。

 

さて、そんな「セツナの愛」のMVを自分なりに考察した。

 

どうせn番煎じだと思ったが、意外にも考察記事はヒットせず。先にやられてるものだと思っていたが・・・。

 

とにかく先に言っておきたいのは、

 

「最高だから見てくれ!」

 

それに尽きる。

 

勿論GRANRODEOのファンだから他の曲のMVも好きだ。

 

ただ、私はこのセツナの愛のMVには特筆してエモさを感じている。

出来ればそれを多くの人に知ってもらいたい。

あくまで個人的解釈にはなるが、是非楽しんでほしい。

 

では参る。

 

 

【燃やされる書籍】

これは本筋と関係ない余談だけど。

MV中で燃やされる書籍は、文ストタイアップ曲なだけあって、みんな作中に登場する文豪たちの代表作。

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しかも、燃やされているのは武装探偵社の人物の本。

 

中島敦山月記

国木田独歩:武蔵野

江戸川乱歩:D坂の殺人事件

与謝野晶子:みだれ髪

宮沢賢治銀河鉄道の夜

 

これはボーカルのKISHOWが演じているのがポートマフィア側の中也なので、敵対の意味での演出かもしれない。

 

とはいえ太宰や鏡花、谷崎の本はないし、異能力とも関係ないチョイスなのでそんなに深い意味は無さそう。

 

たぶんこれは文ストファンに対する一種のサービス的な演出なんだろうと思う。


【登場する異形達】

MVには極彩色の髪や奇妙な特徴を持った人間たちが登場する。

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火を吹いたり、ツノが生えていたり、中性的だったり。

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最初に出てくる車椅子に乗った婦人と男性は、正面を捉えたカットで同一人物だと分かる。二つの顔(人格)があるのだ。

 

彼らはまるでサーカスのように妖しくて奇抜で、どこか寂しげにも見える。

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曲の1番から2番にかけては「異形たちの紹介」だ。

燻る廃墟で一人一人見せ場がある。

 

 

色んなパフォーマンスをして、どんな異形なのかを表していく。

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衣装はみんな黒基調。どこかしらに刺々しい色や装飾が施されている。

派手だが美しいのだ。

 

そう、異形はすべからく、どれもが美しい。

 

決して「普通」ではないけれど。

 

この異形達は、タイアップ元である文スト的に言うなら、この世界での「異能力者」だろう。

 

文豪ストレイドッグスという作品は、文豪たちがその文豪の著作の名を冠する異能を使ってバトルする作品。

 

登場する文豪たちはみな、異能力を操る異能力者なのだ(例外もあるが)。

 

文ストの「異能」は常人とは異なる能力(猛虎になったり重力操ったり怪我を治したり)。

 

対してセツナの愛のMVでは、映像なので、ビジュアルに重きを置いている。

サーカス一座の彼らと彼らのパフォーマンスは「異能」というより「異形」と言う方がしっくりくる感じ。

 

見世物的な妖艶さだ。

 

常人とは違う特徴を持つ彼等は、きっと普通の世界では疎まれたり気味悪がられたりするのだろう。

それこそ文スト作中で、夢野久作が言っていたように、

 

『こんな力が欲しいと思った事は一度もない』

『どうして僕だけ』

 

と思うのかもしれない。

でも、そんな異形の彼等が集まった時、個性の際立つ美しい集団を形成する。

 

MVの最後がそうだ。

みんな横並びに並んでいると壮観。

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世間から疎まれ忌避される彼等は、一人では気味の悪い怪物でも、集団になれば立派なサーカスに成るのだ。

 

【KISHOWとe-ZUKAの立ち位置】

そんな異形たちがいる廃墟で歌うKISHOWとギターを弾くe-ZUKA。

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これとは別に、彼らは登場人物でもある。

つまりMVの物語の中の2人は「セツナの愛を演っている二人」ではなくて、「セツナの愛の世界に置かれた二人」ということだ。

 

なぜそう言えるのかと言えば、先述の異形たちとロデオの二人が一緒に存在しているシーンがあるからだ。

 

言うなれば、この世界は物語であり、二人も異形たち同様その登場人物である、ということだ。

 

【侵蝕されるKISHOW】

ここまでの前提があって、2番が終わり間奏に入った所で物語が動く。

 

2番まではGRANRODEO2人のカッコいいパフォーマンスと、異形たちそれぞれの紹介のフェーズだ。

問題はここから。

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間奏に入ると、双子の異形が出てきて、その身体を絡ませ合う。

まるで愛し合うように。

 

そしてKISHOWがブラウン管に映し出される。

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顔の周りを這う艶かしい手はどんどん増えていき、KISHOWの顔を侵蝕していく。

 

これはおそらく異形たちの手だ。この世界に置かれた彼を求めるように、異形の手は彼の顔を飲み込んでいこうとする。

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これはKISHOWが異形に取り憑かれていくことを示唆しているのだと思う。

もしかしたら、歓迎しているのかもしれない。

自分たちと同じように、彼もまた、異形になり得る存在だと。

 

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最後の方に一瞬だけ映るカット。

ブラウン管から侵蝕した手が、ついに本人にまで及んでいる。

このカットは一瞬しか出てこないのだが却ってとても印象的である。

 

【e-ZUKAの存在】

そして同じくこの世界に置かれたe-ZUKA。

じゃあ彼はどんな存在なのか。

 

このMVを見た私は、異形たちとは反対の「普通の人」として描かれていると感じた。

 

「普通の人」というと素っ気ないが・・・

言い換えれば「異能力者」に対する「非異能力者」にあたる立ち位置。

 

この物語の中で彼だけは、奇妙でも奇抜でも特異でもない、どこも"おかしさ"をはらんでいない、「普通」の人なのだ。

 

前述、KISHOWが侵蝕されていくシーンと同じ間奏のタイミングで、e-ZUKAが映るシーンがある。

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最初は1人ぽつりと、真ん中に佇んで何処かを見ている。

その後、そのe-ZUKAの周りにサーカスの異形たちが現れる。

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異形たちが立っている中でもさっきと変わらず、ど真ん中に佇んでいるe-ZUKA。

色とりどりの髪色をした、見た目も奇抜な彼らに混じっていても、e-ZUKAは変わらずそこで存在感を放っている。

 

黒い衣装の背中と、遠くを見つめる斜めの顔。

照明に照らされた異形の中のe-ZUKAは、どこか特別な人間として置かれているように見える。

 

 

特別な人間——異形サーカスの中に居て特別というのはつまり、「異形ではない普通の人間」だ。

 

この世界は奇妙で奇抜で特異な異形の集まりだ。

普通だったら異形たちの方がよっぽど「変わっている」のに、この世界では逆。

 

この世界では「普通」なe-ZUKAが逆に特別で、唯一無二な存在になる。

「普通」の彼が、異形に囲まれている。

これは対比と取れるだろう。

 

そして、KISHOWとは違い「普通」の彼は、異形に招かれることはなかった。

異形たちの手は、e-ZUKAには伸びていない。

 

彼はあまりに「普通」で「特別」だったから、きっと異形たちの棲むこの世界と混ざり合うことがなかった。

そういうことなのだと思う。

 

これが、相方であるKISHOWとの、決定的な違いになる。

 

【大サビの前の歌詞の意味】

最後大サビの前の部分。

「少しずつ君を忘れよう 思い出せなくなるほどに」。

 

歌っているのも作詞もKISHOWだ。

だから殊更、彼の言葉のように聞こえる。

 

じゃあこのMVの世界でKISHOWが「君」と二人称で指しているのは誰か?

 

e-ZUKAじゃないか。

そう思った。

 

先述した、e-ZUKAが異形たちの真ん中に佇んでいたあのシーンがあったと思う。

 

これは「KISHOWが異形の手に侵蝕されている最中に見ていた景色」なんだと思う。

 

その視線の先に居たのだ。

相方であり、唯一この世界で「異形ではない」e-ZUKAの後ろ姿。

異形に囲まれていてもなお、変わることのない彼。

 

そんなe-ZUKAの姿を、KISHOWは見ていたのかもしれない。

KISHOWは「少しずつ」忘れていく。

「思い出せなくなるほどに」。

 

ここからはMVには描かれていない空白部分の想像だ。

 

KISHOWは異形に好かれ、憑かれ、やがて普通ではなくなっていく。

 

その過程は果たしてどんな「喜び」で「恍惚」なのだろうか?

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そして普通から異形へ変わってしまえば、それに対する「苦痛」も「対価として支払う」ことになるのだろう。

 

奇妙で奇抜で特異な存在になってしまう。

常人の理解から外れた、孤独な存在になってしまう。

 

同じ「異形」ならば、寄り添って孤独を分かち合えるのかもしれない。

でも「普通」の人からは——。

 

KISHOWが支払う対価の中には、きっとそういう苦痛が待っている。

そして、恐らくそれだけではない。

 

「思い出したくても思い出せない誰かの記憶」。

 

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何か、誰か、大切な記憶だったことは憶えている。

でも、どんなに思い出したくても、「少しずつ」忘れていってしまった記憶は、今ではもう思い出すことが出来なくなった。

 

異形の世界を選んだことに対する「支払われる対価」だ。

彼が何者で自分とどういう関係でだったのか、すべては忘却してしまったのだ。

「思い出せなくなる程に」。

 

それがどんなに大切な記憶であっても。

 

 

ただ唯一、脳裏に残っているひとひらの記憶。

 

それは、最後顔をこちらに向け、飲み込まれる自分を一瞥した、彼の姿なのかもしれない。


【まとめ】

以上が考察というか、勝手に私がMVを見て感じた解釈だ。

 

余談だが、当時のインタビューで記者が「愛といえば、誰かと誰かのラブだったりするのか」みたいな発言したことがあった。

 

それに対してKISHOWは「文ストの太宰と中也的なことですか?そこら辺の展開が好きな人にお任せしますよ、僕は中の人なんで明言は避けるけど」と言っていた。

 

実際発売当時もそういう声は多かったみたいだし、文豪ストレイドッグスは原作の人気も高い。

その作品やキャラクターと、主題歌をリンクさせるのは謂わばあるあるな話だ。

 

出来上がって世に放たれたものを、どう解釈してどう消費するかは消費者の一存だ。

そして多くの人がそう解釈をしたならそういう余地があったということなんだろう。

 

この曲のタイトルは「愛」がつけられている。

 

歌われる歌詞も全体的に抽象的ながら、「愛する為の後悔なんてもう二億年前に捨ててきた」「キスは後にして」など、ところどころにKISHOWの言葉で愛の形が紡がれている。

 

確かな絆や愛がある2人は、おそらくこの世にたくさん存在している。

その2人が形成する愛の形がどんなものであれ、それが尊いということに変わりはない。

そんな2人の片方が、大切なもう片方の存在を忘れていってしまう・・・

 

そんなストーリーを想起させるような、優秀な楽曲とMV。

 

それが「セツナの愛」なのだ。

 

GRANRODEO / セツナの愛

 

是非拝聴あれ。